樹木希林の若い頃の画像と経歴まとめ|今風でかわいい?デビュー秘話も

樹木希林の若い頃の画像と経歴まとめ|今風でかわいい?デビュー秘話も

樹木希林さんの若い頃がどんなふうに可愛いと話題になったのか気になっている方や、今人気のおかずクラブのオカリナさんと似ていると言われる理由を知りたい方も多いと思います。
また、若い頃の画像を見たい方や、芸能界でどんな経歴を歩んできたのかを詳しく知りたい方にもおすすめの記事です。

女優としてのキャリアはもちろん、ロックミュージシャン内田裕也さんと結婚した若い頃のエピソードや、波乱に満ちた夫婦生活にも注目が集まっています。
また、晩年の生き方や死因について、そして家族との関係や孫たちが現在どんな活躍をしているのかまで、幅広く解説します。

生涯にわたって多くの名言を残し、世代を超えて愛された樹木希林さんの魅力を、画像やエピソードとともに詳しくまとめています。
これからご紹介する内容を通して、あなたが持つ疑問や知りたかったことをまるごと解決できる記事となっています。

樹木希林の若い頃|プロフィール・画像・女優としての歩み

  • 若い頃から現在までの経歴
  • 若い頃が可愛いと話題になった理由
  • 若い頃がオカリナに似てる?
  • 話題になった名言集

若い頃から現在までの経歴

樹木希林さんは1943年に東京都で生まれ、もともとは薬剤師を目指していました。しかし、進学直前に不運にも骨折してしまい、進路変更を余儀なくされます。この出来事が転機となり、演劇の世界に進むことを決意しました。

新聞で偶然見つけた文学座付属演劇研究所の募集を知り、応募したところ、当時約1,000人の応募者の中から見事合格。1961年から本格的に演劇の世界へと足を踏み入れることになります。この頃の同期には、後に日本を代表する俳優となる小川眞由美さんや橋爪功さんがいたことも、当時のレベルの高さを物語っています。

テレビドラマ・映画でのブレイク

1960年代、悠木千帆という芸名で女優デビューし、1964年のテレビドラマ『七人の孫』で一躍人気を集めました。この時期は、今でこそ老け役が多いイメージですが、実際にはまだ20代の若手女優。さまざまなテレビドラマや映画で存在感を発揮し始めていました。1970年代にはドラマ『時間ですよ』や『寺内貫太郎一家』などで国民的な人気を確立。年齢よりもかなり上の役を演じることが多く、幅広い世代のファンを獲得しました。

芸名のオークション事件と改名

1977年には、自身の芸名であった悠木千帆をテレビ番組の企画でオークションに出すという、前例のないエピソードも残しています。これは、樹木希林さんならではのユーモアと行動力が発揮された一件でした。結果的にオークションで落札されたあと、TBSの久世光彦プロデューサーらと相談して新たな芸名「樹木希林」を名乗るようになります。新しい名前には、「樹や木が希(まれ)な林を作る」という意味が込められていました。

CMとバラエティでも国民的存在に

1979年からピップエレキバンやフジカラーなど、数多くのCMに出演。フジカラーの「美しい人はより美しく、そうでない方はそれなりに映ります」といった名フレーズが流行語となりました。これらのCMによって親しみやすい存在として多くの人に認知されるようになりました。お茶の間の人気者としてテレビ番組にも多数出演し、世代を超えて愛される女優となります。

プライベートと家族

私生活では、1964年に俳優の岸田森さんと結婚しますが、1968年に離婚。その後、1973年にはロックミュージシャンの内田裕也さんと再婚。しかしすぐに別居となり、50年近く独特な夫婦関係を築きました。この関係性はしばしば話題になり、娘の内田也哉子さん、孫の内田伽羅さんもメディアに登場することが多く、家族ぐるみで注目されています。

晩年の活躍と受賞歴

2000年代以降も第一線で活躍し続けました。映画『歩いても 歩いても』や『わが母の記』『あん』『万引き家族』『日日是好日』などで、多くの映画賞を受賞しています。2008年には紫綬褒章、2014年には旭日小綬章を受章。その功績は日本映画史に残るものとなっています。闘病を公表しながらも仕事を続け、2018年9月、家族に見守られながら75歳でその生涯を閉じました。

年代主な出来事・代表作
1961年文学座付属演劇研究所入所
1964年『七人の孫』レギュラー出演
1970年代『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』
1977年芸名を「悠木千帆」から「樹木希林」へ
1979年〜ピップエレキバン、フジカラーなどCM多数出演
1980年代〜『夢千代日記』『はね駒』『影の軍団シリーズ』
2000年代〜『歩いても 歩いても』『わが母の記』『あん』
2018年『万引き家族』『日日是好日』
2008・2014年紫綬褒章・旭日小綬章受章
2018年75歳で逝去

演じる役柄や人生観を常にアップデートし、世代やジャンルを超えて影響を与えた樹木希林さん。その生き方は、多くの人の心に残るものです。

若い頃が可愛いと話題になった理由

樹木希林さんの若い頃が「可愛い」と話題になる理由としては、まず実際の写真や映像で伝わる素朴さと親しみやすさが挙げられます。1960年代のデビュー時はまだ20代で、黒目がちの瞳やきれいな肌、はにかんだような笑顔が印象的でした。若い頃の画像は、近年SNSやメディアで再発掘されており、現代の視点でも「可愛い」と感じる人が多いようです。

可愛さが生まれる独自のキャラクター

樹木希林さんは、いわゆる美人女優というよりも、庶民的でユーモアを感じさせるキャラクターでした。デビュー当初から年齢以上の老け役を積極的に演じる一方で、バラエティ番組やドラマの裏側ではコミカルでお茶目な一面も見せていました。そのギャップがまた「可愛い」と評判になる理由となっています。ファッション面でも、当時としては新しいセツ・モードセミナーに通い、最先端の服装を取り入れていたことで、モダンな雰囲気が加わっていました。

ユニークなエピソードと伝説

コミカルな役柄を演じることも多く、1970年代のドラマ「ムー」や「ムー一族」では郷ひろみさんとデュエットを披露し、「お化けのロック」「林檎殺人事件」といった楽曲も大ヒット。こうしたユーモアあふれるパフォーマンスや伝説的なオカリナとの共演エピソードが、彼女の「可愛さ」を象徴するものとして語り継がれています。

ポイント内容
表情柔らかい笑顔、自然なまなざしが可愛いと評判
ファッションモードセミナー仕込みの最新ファッションも注目された
キャラクター飾らない性格とユーモラスな演技が「可愛い」と言われた
画像・映像当時の写真やドラマ映像に若々しさが感じられる
エピソードコミカルな役柄やオカリナ共演などの伝説的な場面が話題

SNS時代にも再評価

近年では昭和レトロブームやSNSの普及もあり、若い世代が当時の画像や動画にアクセスしやすくなりました。ネット上で「若い頃の樹木希林さん、めっちゃ可愛い」「昔の写真をもっと見たい」といった声が多く見られます。昭和40〜50年代のグラビアや映画、ドラマのワンシーンでも、モダンさと素朴さを併せ持った姿が高く評価されています。

年齢を重ねても色あせない「可愛さ」

晩年まで「芯の強さ」「おおらかさ」「温かいユーモア」といった魅力を失わなかったことも、若い頃の可愛さが長く語り継がれる要因です。年齢を重ねてもナチュラルな笑顔と親しみやすさを持ち続けたことで、世代を超えてファンが増え続けています。芸能界の中でも「年をとっても可愛い」「憧れる」という声が多く、アイコン的存在として今も多くの人に愛されています。

若い頃がオカリナに似てる?

芸能界では時々、若い頃の有名人が今の芸能人と「顔がそっくりだ」と話題になることがありますが、樹木希林さんとオカリナさん(おかずクラブ)の「似てる」という話もSNSや知恵袋、まとめサイトなどで繰り返し取り上げられています。そもそもの発端は、あるネット掲示板やQ&Aサイトで「オカリナ(芸人)と樹木希林さんの若い頃って似てると思いませんか?」と問いかける投稿があったこと。それに対し、多くの人が「自分もそう思っていた」「画像を見比べると本当にそっくり」とコメントして共感が広がりました。

画像比較やエピソードから読み解く「似てる」ポイント

実際に、悠木千帆名義で活動していた20代の樹木希林さんと、今のオカリナさんの顔立ちを比較する画像がネット上で複数見つかります。ネットアンケートの一つでは「そっくり!」という投票が約8割(113票中79.58%)を占めたとのデータもあり、ファンの間でも広く認知されている説です。
2人の「似てる」とされるポイントは、ふっくらとした頬や柔らかい目元、素朴で親しみやすい笑顔、全体の雰囲気といった要素に集約されることが多いです。実際、同じ髪型やメイク、ファッションで並んで写真を撮ったら、どちらがどちらか一瞬分からなくなりそう…という声もSNSで見かけます。

比較ポイント内容
顔の輪郭ふっくらした丸顔、柔らかい印象
目元切れ長ではなく、丸みのあるやさしい目
雰囲気素朴で親しみやすい、コミカルな存在感
笑顔どこかはにかみを感じる自然な笑顔
服装・ファッションシンプルで飾りすぎない、庶民的なファッション

「そっくり」の理由とファンの声

この話題が盛り上がった背景には、昭和の樹木希林さんの写真が現代になって再注目されたことも関係しています。SNSやまとめサイトで「若い頃の希林さんの画像とオカリナさんが本当に似ている!」という投稿が話題を集めると、芸人や有名人の“そっくりさん企画”でもたびたび話題にのぼりました。
また、おかずクラブのオカリナさん自身も「希林さんに似ているとよく言われます」とバラエティで語ったことがあり、本人公認の「似てるネタ」として楽しむ雰囲気も感じられます。

その一方で、目元や表情の雰囲気が似ているからこそ、ドラマやCMでユーモラスな役柄を演じる時の表情やしぐさも「どこか重なる」という意見も多いです。
そして、樹木希林さんは若い頃から「老け役」や「コミカルな役」も多く演じていたこともあり、雰囲気や佇まいが芸人であるオカリナさんと共通する部分が多いのかもしれません。

世代を超えて愛される「似てる」話題

昭和のスターと平成・令和の人気芸人の“顔が似ている”話は、ただの話題で終わらず、世代を超えたファンがネット上で交流するきっかけにもなっています。今後もテレビやネットメディアでたびたび取り上げられるかもしれません。

このように、樹木希林さんの若い頃とオカリナさんが「似てる」と言われる背景には、単なるルックスだけでなく、表情や人柄、役者・芸人としての個性、親しみやすさまで含めた“総合的な雰囲気”が大きく関係していると考えられます。

話題になった名言集

樹木希林さんは長い芸能人生の中で、独自の人生哲学や率直な価値観を数多く発信してきました。その言葉は、自身の病や家族関係、人生の転機を乗り越えてきた実体験から生まれており、多くの人の心に残り続けています。

「おごらず、他人と比べず、面白がって、平気に生きればいい」
この言葉は特にファンや一般の人々から共感を集めており、2018年の葬儀の際に娘の内田也哉子さんが挨拶で引用したことで、より広く知られるようになりました。人と比べることで悩みが増えがちな現代社会に対して、肩の力を抜いて自分らしく、そして自分の人生を面白がることの大切さを教えてくれるメッセージとして多くの人に響いています。

「人生なんて自分の思い描いた通りにならなくて当たり前」
この一言も、期待や理想通りに進まないことが多い人生を受け入れる姿勢を表現しています。希林さん自身も若い頃から思い通りにいかない出来事にぶつかりながら、持ち前のユーモアや柔軟さで乗り越えてきた歴史があるからこそ、リアルな重みを感じる言葉です。

病気や苦難に向き合う時の言葉

「がんってのは準備ができるからありがたい」
自身の乳がんや全身がんの闘病生活を通じて語られた言葉です。がんという言葉は一般的にはネガティブに受け止められがちですが、希林さんは「自分の人生や身近な人との時間を大切にできる貴重なきっかけ」とも語っています。公式サイトやインタビューによると、病気もまた人生の一部として受け入れる姿勢が、同じように病と向き合う多くの人々に勇気を与えてきました。

「病を悪、健康を善とするだけなら、こんなつまらない人生はないわよ」
「がんをやっつけようとするとへばると私は思ってるから、薬出しますか?って言われても、いらないって言う」
こうした率直な発言には、「健康だけが価値じゃない」「今ある自分のままで生きる大切さ」が込められています。

家族や人間関係に関するメッセージ

「内田裕也の全てが、好きです」
夫婦関係が話題になることの多かった樹木希林さんらしい率直な言葉です。夫の内田裕也さんとの関係性についても、多くのメディアやインタビューで語っており、「ありがたい存在」と表現したことも。
また、「もし生まれ変わったら、内田とはもう逢いたくない。また好きになってしまってまた大変な人生を送ってしまうから」といったユーモラスな表現も名言のひとつ。離婚や別居、複雑な家族関係を前向きに捉えて語る希林さんの姿勢が、多くの共感を呼んでいます。

日常生活や人生観のヒント

「求めすぎない。欲なんてきりなくあるんですから」「嫌な話になったとしても、顔だけは笑うようにしているのよ」
日々の小さな選択や考え方についても、自然体でいること、無理に頑張りすぎないことの大切さをさりげなく語っています。

名言伝わるテーマ
おごらず、他人と比べず、面白がって、平気に生きればいい自分らしさ・比較しない生き方
人生なんて自分の思い描いた通りにならなくて当たり前受容・柔軟な考え方
がんってのは準備ができるからありがたい病気・人生への向き合い方
内田裕也の全てが、好きです夫婦・家族
嫌な話になったとしても、顔だけは笑うようにしているのよ前向きさ・日常のユーモア

このような数々の名言は、SNSや書籍、雑誌、テレビなどで今もたびたび引用されています。特に「一切なりゆき」と題された書籍はベストセラーとなり、各種ランキング1位を獲得するほどの人気となりました。

どの言葉も、樹木希林さん自身が本気で生き、苦しみや喜びもすべて受け入れたからこそ伝わってくる重みがあります。読者のあなたも、彼女の言葉から少しでも心が軽くなるヒントを得てもらえたらうれしいです。

樹木希林の若い頃から晩年・家族まで――人生と素顔

  • 夫・内田裕也との若い頃のエピソードと画像
  • 内田裕也との結婚・波乱の夫婦生活
  • 子供や孫は何人?現在はどうしてる?
  • 死因と晩年の生き方

夫・内田裕也との若い頃のエピソードと画像

樹木希林さんと内田裕也さん、この二人の名前を聞くと「まさに伝説」と思う人も多いはずです。若い頃から大物同士のエピソードが尽きないおふたり、なれそめや結婚当初の珍事件、そして当時の画像まで、詳しくまとめてみました。

なれそめは1973年のドラマ現場と出雲大社の不思議体験

1973年、当時社会現象にもなったドラマ「時間ですよ」に樹木希林さんが出演していたタイミングで、ミュージシャンのかまやつひろしさんも出演していました。かまやつさんに会うためにスタジオに遊びに来ていたのが、後の夫となる内田裕也さんだったのです。最初の出会いはほんの雑談程度だったそうですが、その後、樹木希林さんが好きだった神社巡りで訪れた出雲大社(島根県)が2人を繋げます。

出雲大社は縁結びの神様として有名で、ここでなぜか樹木さんは「裕也さんにまた会えるかも」と直感を感じたという話も伝わっています。その後、東京・六本木の寿司屋で偶然再会し、そこから一気に距離が縮まりました。この日のうちに意気投合し、内田さんが「今日、お宅に泊まってもいいですか?」と切り出すと、樹木さんも「ええ、どうぞ」と返答。この日からふたりは同棲を始め、わずか1か月後にはスピード結婚を果たしています。

結婚式のエピソードと若い頃の画像

2人の結婚式も当時としては型破りなものでした。東京・築地本願寺で仲人なし、式場料金も約9500円という「超地味婚」だったことが写真付きで紹介されているメディアも複数あります。服装もデニム姿というラフなスタイルで、決して派手さを求めなかったのが二人らしいところです。

以下の表は、結婚初期の二人に関するポイントをまとめたものです。

年月出来事特徴
1973年ドラマ現場で初対面かまやつひろしさんを通じて出会う
1973年出雲大社で樹木さんが直感を感じる「また会えるかも」と思い六本木で再会
1973年同棲を始めて1か月後にスピード結婚デニム姿、築地本願寺、仲人なし、9500円婚
1974年長女・也哉子さん誕生幼いころから一人娘として育つ

若い頃の画像について

樹木希林さんや内田裕也さんの若い頃の画像は、公式な映画ポスターやテレビ番組、雑誌のグラビアに多く残されています。特に結婚当初の二人のツーショットは、その後もたびたびメディアで紹介されており、デニム姿や自然体な表情が印象的です。

伝説的な若き日々のエピソード

おふたりとも若い頃から型破りで自由な性格が際立っていました。内田裕也さんはロックンローラーとして、破天荒な行動や数々の事件で世間を騒がせてきました。たとえば「日本のロックミュージシャンを大事にしろ!」と自ら110番通報して現行犯逮捕、罰金で釈放された事件など、そのままドラマになりそうな逸話が多く残っています。その際、樹木さんは娘の也哉子さんを連れて面会に訪れ、「もう包丁なんか持たないで」とストレートに伝えたというエピソードは今も語り草です。

結婚当初から波乱が絶えず、時にはケンカが大げんかになり、包丁を手に取ったこともあったとか。俳優の浅田美代子さんが「これはどっちか死ぬぞ」と思ったほどの壮絶ぶりだったようです。こうした若い頃の二人のやりとりや暮らしぶりは、今でも映像や写真として数多く残っていて、ファンならずとも一見の価値ありです。

内田裕也との結婚・波乱の夫婦生活

樹木希林さんと内田裕也さんの夫婦生活は、テレビや雑誌でたびたび特集されるほど波乱に満ちていました。一般的な価値観を超えた「型破り」な関係性、数々の衝撃エピソード、家族の在り方、そして最後まで続いた夫婦の絆について、詳細にまとめます。

夫婦になってからのドラマチックな事件

結婚後の生活は、まさに波乱そのものでした。内田裕也さんはお酒が入ると暴れ出すことも多く、家具を壊すこともあったそうです。そのたびに樹木さんは冷静に、時には黒電話を叩きつけて応戦したという話もあります。限界を感じた樹木さんが、内田さん用のマンションを借りて鍵を渡し、別居状態となりました。この「追い出し事件」から約6年後、内田さんが一方的に離婚届を提出し、しばらくハワイに滞在。その後、裁判で離婚無効を勝ち取った樹木さんの行動も、かなり強烈な印象を残しています。

出来事内容
別居開始内田さん用のマンションを借りて鍵を渡す
離婚届騒動内田さんが一方的に提出、樹木さんが裁判で無効に
再び同居なしの夫婦関係事実上の別居を継続しつつ夫婦関係は解消されなかった

「なぜ夫婦でい続けるのか?」娘や世間の疑問に答えた覚悟

世間だけでなく、娘の内田也哉子さんも「なぜ母はああいう父と夫婦関係を続けるのか?」と疑問に思っていたことを明かしています。それに対して樹木希林さんは、「私の人生には必要な存在なんだ」と答えていました。最初の結婚につまずいた経験から「どんな試練があっても添い遂げる」と決めていたと語っており、この覚悟が一貫していました。

不倫や事件、再会を超えた夫婦の絆

内田裕也さんは浮気も繰り返していました。有名女優との不倫旅行の現場を、偶然同じ飛行機でハワイに向かった樹木さんと娘が遭遇したという驚きのエピソードも残っています。また、複数回の逮捕騒動でも、報道陣が家に殺到した時には近所迷惑になるからと自宅に入れて会見を開くなど、まさに常識を超えた対応でした。

最期まで続いた家族のつながり

晩年は病と闘いながらも、家族との絆を大切にしていた樹木希林さん。2018年に大腿骨を骨折し入院、そして同年9月に静かに息を引き取りました。その最期の時も、内田裕也さんと電話をつなぎ、孫が手を握っていたというエピソードがあり、娘の也哉子さんも「計り知れない切っても切れない縁」と語っています。葬儀には1500人もの参列者が集まり、家族だけでなく多くの人に愛され続けていたことがわかります。

その後、内田さんも後を追うように他界。葬儀での遺骨エピソードや、44年前のラブレターを大切に保管していた話など、最後までお互いを特別な存在として思い続けた証が数多く残っています。

家族としての在り方と影響

夫婦として一緒に住んだ期間はわずか数か月。しかし、お互いにないものを補い合い、それぞれの個性や生き様が家族に受け継がれています。娘の也哉子さんは「母が最晩年に残してくれた“誰かの役に立つことを見つけなさい”という言葉に背中を押されている」と話し、長男のUTAさんはモデルとして世界で活躍、長女の伽羅さんも俳優や国際コミュニケーションの分野で活躍するなど、家族それぞれが自分の道を切り拓いています。

家族構成備考
樹木希林さん女優、独特の存在感と発言で人気
内田裕也さんロックンローラー、波乱万丈の人生
也哉子さん一人娘、エッセイスト、翻訳家、母の影響大
本木雅弘さん俳優、婿入りで内田家を継ぐ
UTAさん長男、モデルとして活躍
伽羅さん長女、女優・国際コミュニケーション分野
玄莵さん次男、アーティスティックな才能を持つ

「普通では考えられない」でも「だからこそ面白い」と、多くの人が語るこの夫婦。結婚観や家族観に悩む人にとって、型にはまらない人生のヒントがたくさん詰まっているはずです。

子供や孫は何人?現在はどうしてる?

樹木希林さんの家族について調べていると、人数だけでなく「どう育て、今どう生きているのか」が気になってきますよね。ここでは子供や孫の人数はもちろん、それぞれがどんな道を歩み、今どんな立場にいるのかまで丁寧に整理していきます。

樹木希林さんの子供は一人娘

樹木希林さんの子供は、内田也哉子さん一人です。也哉子さんは文筆家、翻訳家、エッセイストとして活動しており、テレビ出演よりも「言葉で考えを伝える仕事」を中心にしてきました。父親はミュージシャンの内田裕也さん、母親が樹木希林さんという強烈な個性を持つ両親のもとで育っています。

幼少期は、両親の離婚や裁判報道などでマスコミに囲まれる環境でした。そのため、一般的な家庭とは違う緊張感の中で成長したと言われています。樹木希林さんは、そうした状況から娘を守るため、日本の芸能界と距離を置ける環境としてインターナショナルスクールを選んだと語られています。

孫は3人、それぞれ全く違う道へ

内田也哉子さんは19歳で本木雅弘さんと結婚し、3人の子供を出産しています。つまり、樹木希林さんの孫は3人です。

続柄名前特徴・現在の活動
孫(長男)内田雅樂さん(UTAさん)モデル、海外経験が豊富
孫(次女)内田伽羅さん女優、映画制作の裏方経験
孫(次男)内田玄兎さん作曲やアート分野に関心

長男UTAさんは世界を舞台に活動

長男の内田雅樂さんはUTAさんの名前で知られ、スイスやアメリカへの留学経験を持ちます。学生時代はバスケットボールに打ち込み、のちにモデルとして海外コレクションにも参加しました。祖母である樹木希林さんは、UTAさんが進路に迷った際、服は内面を映す鏡のようなものという言葉をかけたと伝えられています。この言葉が、モデルという表現の仕事に向き合うきっかけになったとも語られています。

孫たちに共通する「表に出すぎない選択」

内田伽羅さんは映画あんなどで注目されましたが、女優一本に固執せず、映画制作の裏方にも関わってきました。内田玄兎さんも、音楽や美術など表現活動に興味を示しており、メディア露出は控えめです。

この姿勢には、樹木希林さんの価値観が色濃く反映されていると感じます。有名人の家族であることを「売り」にせず、自分で選んだ場所で生きる。その距離感こそが、希林さんの子育て・孫育ての延長線にあるように見えます。

死因と晩年の生き方

樹木希林さんの死因を調べる人は多いですが、本当に心を打つのは「どう生き、どう最期を迎えたのか」という部分かもしれません。病気と共に生きた晩年は、多くの人に考えるきっかけを与えました。

死因は乳がんからの全身転移

公式に伝えられている情報では、樹木希林さんは乳がんを発症し、その後複数の臓器に転移していたとされています。2004年頃に乳がんが見つかり、手術を受けた後も治療と仕事を並行して続けていました。2012年には、全身がんであることを自ら公表しています。

全身がんという表現は、医学的には転移性がんを分かりやすく伝える言い方です。原発のがんが、体のあちこちに広がった状態を指します。希林さんはこの事実を隠さず、淡々と語っていました。

病を受け入れる独特の姿勢

晩年のインタビューで印象的なのは、がんになってよかったと思う部分もある、という発言です。これは病気を肯定しているのではなく、自分の体と向き合い、人生を整理する時間を持てたという意味合いで語られていました。

仕事の受け方にも強い一貫性がありました。2年以上先の仕事は引き受けず、体調を見ながら1年以内で完結するものだけを選ぶ。留守番電話やファクスで仕事を管理し、無理をしない。その姿勢は、最後まで自分の人生の主導権を手放さなかった証とも言えます。

家族との関係は最期まで自然体

内田裕也さんとは長年別居状態でしたが、完全に断絶していたわけではありません。年に数回会う関係を続け、その距離感が自分たちには合っていると語っていました。若い頃の激しい衝突を経て、必要以上に近づかない関係に落ち着いたようです。

亡くなる前は家族に囲まれて過ごし、自分の人生を振り返って上出来だったと語ったと伝えられています。成功や不成功ではなく、自分が納得できたかどうか。それを基準に人生を評価していた点が、希林さんらしいですよね。

あなたがもし、老いや病気、将来への不安を感じているなら、樹木希林さんの晩年の生き方はヒントになるかもしれません。無理に抗わず、逃げず、自分で選び続ける。その姿勢が、最後までぶれなかったように感じます。

樹木希林の若い頃から知る人生と家族のまとめ

  • 1943年に東京都で生まれ薬剤師志望から演劇へ転身
  • 文学座付属演劇研究所で演技を学び1961年に入所
  • 1964年ドラマ七人の孫で人気を獲得
  • 20代から老け役を演じ幅広い世代の支持を得た
  • 1977年に芸名を悠木千帆から樹木希林に改名
  • 1970年代は寺内貫太郎一家などで国民的女優に成長
  • フジカラーやピップエレキバンなどCM出演で親しまれる存在となった
  • 個性的なファッションやユーモアあるキャラクターが魅力とされた
  • 若い頃の画像や動画がSNSで話題になり可愛いと再評価されている
  • 若い頃は芸人オカリナさんと似ているとネットで盛り上がった
  • 岸田森さんと結婚後に離婚し内田裕也さんと再婚、すぐ別居となった
  • 娘の内田也哉子さんと孫の伽羅さん、UTAさん、玄兎さんも注目されている
  • 晩年は全身がんを公表しながら映画出演と受賞歴を重ねた
  • 2018年に家族に見守られながら75歳で亡くなった
  • どの世代にも影響を与え続ける生き方と人生観が多くの人の心に残っている

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